嘉兵衛本舗の茶畑は奈良吉野の山里にあります。山間冷涼の気候と、地力のある土壌を活かした農法と製法を代々絶やすことなく受け継いできました。いちにちの区切りに、ふとお茶を飲むその時間が和みのひと時となりますように。
その想いはこの里で生まれ育った三姉妹に引き継がれ、江戸時代から伝わる伝統的な手仕事に学びながら、山里の太陽・風・水・土とともに、いまも守り続けています。

嘉兵衛本舗のお茶づくり

「かへえさん」と親しまれた森本嘉兵衛が、お茶作りを始めたのは江戸時代中期、天保の頃。それから6代にわたってお茶の仕事を受け継いできました。かつては吉野郡に6609軒あったお茶の生産者は大幅に減り、大淀町内の生産者も300軒から現在はわずか5軒に。嘉兵衛本舗はこの地域で古くから製造されてきた「吉野大淀日干番茶」とその独特な製法を守り続けています。日干番茶は「もむ」工程がなく、蒸した茶葉を天日干しにすることが特徴で、苦みや渋みが少ない番茶に仕上がります。

History of Tea Making in Yoshino

日本のお茶は、最も古い記録で奈良時代に「行茶の儀」が行われていたと記されています。鎌倉時代には、禅宗寺院に喫茶が広がると共に、社交の道具として武士階級にも喫茶が浸透。江戸時代には茶の湯は江戸幕府の儀礼に正式に取り入れられ、一般庶民にも飲料としてのお茶が浸透してきました。吉野には、江戸時代 天保(1830~1843年)の頃宇治の籠屋 忠次郎が嘉兵衛本舗のある中増の里に行商で立ち寄り、この地域の茶を見て、番茶しか作られていない事を残念に思い、忠次郎はここに移り住み、宇治の製茶を広めました。

もっとも盛んに製茶がされていた頃、ここ大淀町では吉野郡生産量の50%を占める産地であった事が記録に残されていて、中でも森本嘉兵衛、山本久右衛門は最も盛んに製茶をしていたと、古い文献にも名前が残されています。(奈良県吉野郡史 中巻)